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自己紹介的な投稿記事など

音楽とオーディオ

2006年06月12日
 パソコンがこれ程普及する前、東京・大阪の有名電気街はほとんどある機器で一色でした。
何だと思いますか?ずばり「オーディオ、ステレオ」だったのです。

 部品屋とか無線機屋などもありましたが、当時の日本人のステータスと言えば「オーディオ!」著名な有名人とか芸能人、スポーツ選手、政治家、企業の社長クラスの裕福な家庭を訪問し、どんなステレオ装置が据えられて、どの様な素晴らしい音を奏でているかを紹介するオーディオ雑誌も続々出版されていました。
 オーディオ評論家も登場し、高価な機器の選択は評論家の意見が非常に重要な参考となったものです。
 小さい頃から音楽が好きだった私は、小学生の頃はラジオや白黒テレビで流行歌を聴き、中学の頃初めてラジカセを買ってもらい夢中になり、高校生になるとスピーカーが2つある小さなステレオでサイモンとガーファンクルやカーペンターズ、エルトンジョン等を学校が休みの時はずっと聴いていました。

 オーディオに目覚めたのはその頃だったと記憶しています。音楽とオーディオ、同時にフォークソングブームに乗りギターを始めたのもその時です。凝り性の性格からか、オーディオにのめり込んだ自分の青春時代を振り返ってみようかと思います。
オーディオへの
目覚め


2006年06月14日
 何事も突然目覚めると言うことはなく、何かしらの下地がありますよね。私の場合は小学生時代に買ったトランジスタラジオからでした。
 電気少年だった私は、その当時から壊れたラジオを分解したり粗大ゴミに捨ててあるテレビを分解して真空管や抵抗・コンデンサ・スピーカーを取り外しては何かに使えないかと集めていました。

 オーディオと言えば、やはり音質の追求です!小学生の私は今持っているラジオの音を「もっといい音で聴きたい!」と考えるようになってきたのです。
 そこで幼い頭で考え、テレビから取り出した大きめのスピーカーを段ボールの箱に組み込み、ラジオのイヤホンジャックに接続してみました。

 「これが今まで聴いていたラジオの音!?」とビックリ仰天です。小さなコインの様なスピーカーと比べ別次元の音を出してくれたのですから当然ですよね。その驚きこそが音質追求へと私を導いた原動力となりました。

 中学になり、ハンダごてを持ってラジオキットを組み立てては、自作のスピーカーを二股に分岐し、見掛け上ステレオにして遊んだりしていました。廃品回収業者をまわり真空管ラジオを手に入れ、真空管の赤い光に見とれながらドライバをシャーシに接触させた途端、全身に電流が流れ、筋肉が波打つという感電の経験を味わったのも懐かしい思い出です。
カセットテープ
レコーダーの
不思議

2006年06月15日
 私が初めてカセットテレコにふれたのは、年老いた祖父が自分のお経を吹き込むために買ったものでした。
買った後使い方が分からず、中学生になり立ての私に説明書を読んで録音してくれと言うのです。雑誌などで少しの知識があった事で、難なくお役は果たせましたが、実際に祖父の声がテレコから出てくるのを聴いて、いたく感動しました。

 それ以前はレコードなど最初から録音済みのものを聴くという受け身の状態から、自分で好きな音や会話、歌などを録音して楽しめる能動的な楽しみ方が出来る魔法の機械に出会ったのです。

 レコードは板に溝が切ってあり、そこに音波を物理的に刻んでありますので、私の頭でも「糸電話と同じ原理」として理解でき、ぺらぺらのプラスチックで作られているソノシートの溝に縫い針を手で押しつけて音を出して遊んだりもしていました。
 しかし、テープは何故、どの様な原理で録音できるのか?録音した音をどんな原理で再生出来るのか?・・中学生の頭では、色々調べて感覚的には「そうかもしれない」と思える程度の理解しか出来なかったのです。

 でも、ラジオは何故鳴るのか、テレビは何故映るのかを知らなくても十分楽しめるごとく、自分で録音できるモノラルのテープレコーダーを使い、大好きな音楽のエアチェックの深みへとはまっていく自分がいました。
エアチェック

2006年06月17日
 当時、レコード盤は小遣いで買うにはシングル盤であっても非常に高価で、LPなんて絶対買えない物という認識がありました。
音楽はテレビやAMラジオで聴くものだったのです。中学三年になった私は、前々から欲しかった「FM受信機付きステレオラジカセ」を一大決心して購入しました。自分の貯めたお金に半分親からの援助をプラスしてやっと手に入れた宝物!

 それからは勉強そっちのけで音の良いFM放送のエアチェック三昧。同世代の方は懐かしく思い出すでしょう?! 放送局側も心得ており、曲が尻切れにならないように最後まで流してくれていましたね。
 少ない小遣いで、まだまだ高価だったカセットテープ1本買うのに、どれを買ったらいいか悩み、FMレコパルなどの雑誌で番組表を隅から隅までチェックして、歌謡曲、フォーク、クラッシック、ポピュラー、演歌、はては浪曲まで、録音しては聴き、消去してはまた録音の繰り返しで、一番どっぷり音楽にはまった時期でした。

 イヤホンジャックに段ボールスピーカーをつなぎ、広く間隔を開けてセッティングし、これが「立体ステレオの音だ!」と自己満足して毎日を過ごしていました。
初めてのギター
とステレオ装置


2006年06月19日
 そういう電気少年も、とうとう高校生になりました。
入学祝いに祖父母から立派な腕時計をプレゼントしてもらいました。そして、その腕時計について来た豪華プレゼント・・・何だと思いますか?なんと「フォークギター」だったのです!。 フォークソングブーム真っ最中の出来事でした。ギターの事は後々書くことにして、オーディオの続きです。

 小遣いも少し増え、お年玉などもある程度もらえるようになった私は、本格的なステレオ装置が欲しくて仕方ありません。世間にはコンポーネントステレオが少しずつ浸透して来た時期でもありました。

 そしてとうとう・・「買いました! ステレオ!」。コンポ?、とんでもない!。
レコードプレーヤーに本体、スピーカー1組の入門用。本体は、プリアンプ・メインアンプ・FM/AMチューナーが一体となった「レシーバー」という代物・・・。だって、それしか買えなかったんだもん・・!安くて性能が良く大出力(当時は)、コストパフォーマンス(今では死語ですね)抜群のものでした。

 それに今まで使っていたステレオラジカセを接続すると、立派なオーディオ装置。この装置には愛着があり、本当に長くお世話になりました。
 また当時の機械はタフで故障知らず。プレーヤーを替え、カセットコンポを追加しながらも本体はバリバリ現役。大学時代前半まで役に立ってくれました。
フォークソング
とギター


2006年06月22日
 腕時計のおまけのギターと教本を手に入れた私は、教本の通りにチューニングをし、3つのコードだけで歌える簡単な童謡を、教本を睨みながらジャーンと鳴らしてみました。
 で・・出来るジャン!!。小中学時代のハーモニカやたて笛、オルガン等の授業であった楽器はへたっぴぃだった私の頭に、「一番簡単な楽器はギター」と強烈にインプットされたのでした。

 高校生の時はフォークソングブームのピークで、友人にギターを持っている人もたくさんいました。井上陽水、吉田拓郎、かぐや姫、ガロ、海援隊、グレープ等をエアチェックしたり、友達にレコードを借りたりして気の合った仲間と一緒に弾いて楽しみました。
 でも、おまけのギターはすぐに壊れました。そこで新しいギターを手に入れ、新品の弦を張り、おもむろに「ジャーン」と一発。ハッ・・その音色の素晴らしさ・・!。

 これを読んで下さっている方にも経験された方は大勢いらっしゃいますよね!。伸びきった、なまった弦の音しか知らなかった私には、本当に衝撃でした。
 「こんな音を自分のオーディオでも出してみたい!」と願うようになるのは当然の成り行きでしょう?頑張ってLPレコードを買い、プレーヤーとアンプの配置やスピーカーのセッティング、イコライザやボリュームの設定など色々工夫してやりました。
 そして出した結論。「ヘッドホンで聴く音が一番イイ!」。笑って下さい・・でも本当の事ですよ。
5月病の対策に

2006年06月25日
 将来は電気関係の仕事に就きたいと希望していた私は、「電子工学科」なる学部を選択しました。
勉強があまり好きではなかった私ですが、少しでも興味のある事であれば続くに違いないとの甘ーい短絡的な考えでした。

 しばらくすると、私に襲いかかってきたのが、言わずと知れた5月病!親元の監視を離れ、自由気ままな生活が出来る上に授業の出席はそれ程厳しくなく、お金の稼ぎ方も覚え、だんだんと大学の授業から足が遠のいて行きました。自分でも分かっているんですよね、駄目だって!でもどうしようもない。

 何とかしなければと自分なりに解決策を考えた末、一つの結論を出しました。「大学生活自体に何か楽しみを作って出席が苦痛にならないようにしよう。その為には何か好きなクラブに入って活動してみよう。」と・・。
 その時に選択したクラブ、音楽関係を探すと「軽音楽部」か「男声合唱」。
 軽音楽部がいいかなと思い、部室の前まで行きましたが気弱な性格のためノックすることが出来ず、その日は帰りました。悶々としているときに新入生歓迎コンパでギターを弾きながら場を盛り上げている人が目につきました。
 その人曰く「歌は好き?」。そうです「男声合唱団」の新入生勧誘だったのです。「いやー、なかなか。」と一度は断ったものの、女子大生とのコンパにもやはりギターを持って参加している合唱団の人・・。

 「もしかしてこのクラブに入ったら合コンにも行き放題?」と思った私は、次の日合唱団のドアをノックしていました。
それがただの思い込みだった事や、後に男声合唱・混声合唱の指揮者となる運命の第一歩だったとは、その時知る由もありませんでした。

−−−− 回想記第一部完 −−−−
ゲームへの憧れ

2006年06月27日
 さて、小学生時代から大学新入学までの「回想記第一部完」となりましたので、しばらくの間、思いつきでダラダラと書いて行きたいと思います。
続きを期待された方、ごめんなさい。第二部はまた後ほど気力が復活次第書きますので!

 私が中高生の頃から、ビデオゲームが少しずつ家庭に浸透してきました。
初期の頃は画面の両端にある細長いバーを上下して、飛んでくる一個のボールを相手が失敗するまで返し合うと言う非常に原始的で単純なゲームながら、家庭でテレビにコード一本つなぐと遊べる手軽な「テニスゲーム」から始まり、ドライブゲーム、ブロックくずし、シューティングゲームへと進化して行きました。

 その後商業ベースのアーケードゲーム「スペースインベーダー」が大ヒット、伝説の「名古屋打ち」など色々と攻略法が生まれましたね。それまでのプレーヤーが一方的に攻撃するのではなく、敵からの攻撃を避けながら自分も攻撃してクリアしていく興奮に、その当時の若者は必死にプレイしたものです。
 ドンキーコング、クレイジークライマー、パックマン、ギャラクシアン、ゼビウス、その他数え切れない程のアーケードゲームブーム。

 私はと言えば、元来反射神経が鈍かったせいで、100円入れてもすぐにゲームオーバー。上手い人のプレイを羨ましく見つめるだけでした。
 思う存分ゲームをしてみたいとの思いを抱きながら・・・。

そんな折り、工学部のキャンパスで友人2人がなにやら話をしています。「マイコンも進んだね」「うん、ベーシックでプログラムも自分で作れる」「最近はパーソナルコンピュータというのも発売されたし・・」。
 話に入っていけない私は、ただ聞いているだけでした。コンピュータと聞くと「鉄腕アトム・・お茶の水博士」と頭にパッと閃く世代の人間でしたので、「マイコンって一体何が出来るの?」と聞いてみました。
 友人曰く、「何でも出来るが、何も出来ない!」禅問答の様な返事です。「はあー?」と一言。知識を得た後で考えると、その答えは本質を捉えた答えなのですが、その時は全く分かりませんでした。まだファミコンが発売される前の話です。
パソコンとの出会い

2006年07月01日
 友人の会話によりマイコンに興味を抱くようになった私に、決定的で強烈な一言。「雑誌に載っているプログラムを入力したら、どんなゲームでも出来るよ!ブロックくずし、インベーダー、ギャラクシアン、パックマン、その他いっぱい雑誌に発表されているし・・その雑誌は学校の図書館にバックナンバーがズラッと置いてあるよ。」
 ゲームが下手の横好きだった私は、クラーッと誘惑に負け、「欲しい!」と思い始めました。

 マイコン雑誌を買い、色々と調べました。どの様な機種が発売されているのか、機能はどうか等々。
「TK−80」等のワンボードマイコンと一緒に「NEC PC-8001」「SHARP MZ-80K」等が載っており、その中でもカラーが表示出来、一番将来性があって長く使えそうだと判断しPC-8001を見てみたいと、大阪の電気街である日本橋へ出かけていきました。
 「ない!」どこにもありません。品薄で入荷数が少ない上すぐに売れてしまうとの事。何軒もまわり、やっと見つけました。定価販売!天下の日本橋でですよ!信じられない。
 これを逃したら手に入らないかも・・と考えると・・「これを一つ下さい!」って自分の口が勝手にしゃべっていました。 お金も持たない貧乏学生は、初めてローンを組みました・・。

 「いろんなゲームを、ただで思いっきり遊びたい」との思いから買ってしまった初めてのパソコン。何も考えずに、まず簡単な短いゲームプログラムの入力。徹夜です。入力終了。「RUN」「ピーッ、エラー」ガクッ! その繰り返し。
 やっと完成させて、さあ遊ぼうと思った時には体力の限界でバタンキューです。今のようにハッキリ映るディスプレイではなく、RFモジュレータで家庭用テレビにつなぎ、ぼやけてにじんだ画面を睨みながら入力し、出来たプログラムはカセットテープにピーピロピロと気長に記録しなければならなかった当時のシステム、当然ですよね。

 しばらくはその様にBASICや機械語のプログラムを入力しては、ゲームをしていましたが、なにせ生まれつきの反射神経の鈍さはどうしようもない。そう、すぐにゲームオーバーとなり面白くないんですよ!
 でも、ある日とうとう見つけました。制作者の紹介記事に「HIの変数を変えると255機まで増やせます。」えー、3機でゲームオーバーなのを255機まで増やせるの?何故? じゃあ、他のゲームも同じじゃないの?・・と気づいた時から、プログラムの解析にも興味が出て、プログラムの仕組み、動き、命令の意味と働きを考えながら楽しむようになりました。
パソコンの
プログラム


2006年07月04日
 大学の授業にも、大型コンピュータを動かす為のプログラミング授業がありました。しかし、何故授業で学ぶ教科ってこんなに身に付かないものなのでしょうか。
 音楽好きな私ですが、小中高校の授業は退屈なだけ、テストも実技も良くなかったのと同じで、授業で学ぶプログラミングは退屈で面倒くさいだけの科目でした。結果的に全部落としてしまいました。

 それに反して、きっかけはパソコンゲームで自分の機体を増やし、ゲームを有利に続ける為のプログラム解析でしたが、それにより知らず知らずの内にプログラム理論が身に付いてきたのでしょう。
 雑誌に掲載されているプログラムを見ると、所々は「ああ、ここは移動を受け持つプログラムだな」とか「衝突判定部分だな」等とおぼろげながら分かるようになってきました。

 そうなると不思議なもので、自分でプログラムをゼロから作り上げるまで理解するのにそれ程の苦労はなく、楽しみながらプログラミング出来るようになったのです。
 授業での受け身的な学習と、興味を持って楽しみながら習得する学習の差がこれ程違うものだとは思いませんでした。また、コンピュータとは、「何でも出来るが、何も出来ない!」と言った友人の言葉の意味も、理解できるようになったのです。
 音は「ビー」だけ、入力はアルファベットで、日本語と言えるのは貧弱なカタカナだけ、漢字変換など以ての外、漢字が画面に出せる事などずっと後の話でしたが、それでも私にとっては限りない可能性を秘めた魔法の箱でした。

 貧弱な機械だからこそ、人間の工夫により様々な発想が生まれ、その工夫により今まで出来なかった事が可能になるなどの驚きとロマン、憧れと共に楽しめました。
 ビープ音だけの機能で音楽を演奏し、少ないメモリで高速化まで考えてのプログラム、VRAMへの直接描画、絵を描くとそれを自動的にプログラムとして出力する自動プログラム作成ソフトなど、常識破りの発想に驚くことばかりでした。
少ないパソコン雑誌を買いあさり、一生懸命理解しようとしていた意欲に満ちた日々でもありました。
ソフトウェア
エンジニアへ


2006年07月06日
 大学も卒業が間近になると、どうしても就職の問題が目前に迫ってきます。
友人と将来どうするかを話していた時、その友人が「自分の彼女の兄が、システム開発の重要な立場におられるけど、話を聞くなら紹介するよ。」と言ってくれました。
 「お願いします!」と言って、その方の自宅へ話を伺いに行くと、まさに自分の希望するような内容。話はとんとん拍子に進み、面接を受けることになりました。

 売り手市場とは言っても就職はやはり難しい時でしたが、「パソコンを自分で持っていて、プログラムを自分で作れる」事は、十分な資格だったのですね。時代の流れに知らぬ間に乗っていた幸運を噛みしめた瞬間でした。
 面接会場へ行って、二度目の驚き、何と、私が初めてパソコンを購入したショップの二階。つまり親会社だったのです。偶然とは重なるものですね。不思議です。運命的なものを感じずにはおれません。「見事合格!」やっぱり運命でした。

 その会社で、アプリケーションも開発しましたが、それよりはハードウエアにより近い組み込みチップの制御を開発する事が多かったのも嬉しいことでした。
 また、パソコン関係の開発陣には、私の手の届かないような凄い技術者がたくさんおられる事も身に染みて感じました。今の趣味であるジャンク復活の基礎を私に築いてくれた会社でもありました。

 本当にその当時の先輩後輩方には感謝しています。新しい開発環境、新しいハードウェアなどに恵まれて、やはり仕事としては辛く厳しかったですが、自分の糧となりました。
 今の家内と知り合い、結婚したのも、この会社に勤めていた時でした。次はその話を少ししてみましょうか・・・?
七夕の夜に・・・

2006年07月07日
 まさか七夕の夜に、こんな出会いを書く事になろうとは・・・

一人暮らしがだんだん寂しいと思うようになった私は、結婚の事を考えるようになりました。でも、なかなか納得出来るような出会いがなく、田舎の両親にも「もし良い娘がいたら気がけておいて・・」と頼んでいました。
 8月初めに神戸へ泳ぎに行き、日焼けで黒くなって田舎へ帰省しました。帰る前に母から「同じ職場にお前が好きそうな丸顔の1才年下の娘がいるけど・・栄養士でパートで来てる娘。」と聞いていましたが、都会でもなかなか好みの娘はいなかったのに、そんな田舎に都合良くいるはずはない!と聞き流していました。

 盆も終わった昼下がり、家族は揃って出かけ、自分一人で部屋でゴロンと横になり、ボーッとしていると、「ごめんくださーい」の声。何かと思って玄関へ出てみると、「帰省のお土産を頼まれていたので持ってきました。」とお菓子を持った女性が立っていました。そのお菓子屋さんの可愛い事!
 「あー、そうですか。」とお菓子を受け取り、またゴロンと横になって、「どうせ紹介してもらうなら、あんなかわいい人を紹介してくれたらいいのになぁー」と独り言をつぶやきながら寝ていました。両親が帰って来て、「お菓子を頼んでたけど・・・」と言うので、「うん、持ってきたから受け取った」と答え、テレビを見ていました。

 その後、母が「今晩、栄養士を見に行くね?」と聞くので、あまり乗り気ではなかった私は「うーん・・」と言葉を濁していました。
 「そう言えば、見た?」と母、「何を?」と私、「お菓子を持って来たろー」と母、「うん、お菓子屋さんが・・」「いや、あの娘、うちの栄養士!」。

「ええー!\( ̄□ ̄;)/」!!!

 一目惚れした私は必死でアタック!。そして1ヶ月後仮祝言、3ヶ月後結婚式と、まわりもびっくりする程の超スピードで話も進み、二人して大阪の新居へと帰ってきました。今想い出しても懐かしさで一杯になります。

 後で当時のことを家内に聞くと、第一印象は、「日に焼けて背の高い人」、結婚を決意したのは?と聞くと、「デートの時に大きな蜂が飛んできて貴方の頭にとまったよね! その時、何事もなかったかのようにノンビリと、とまらせたまま蜂が飛んでいくまでじっとしていた事。気の長ーい人だと好感を持った!」と話してくれました。本当に蜂さんに感謝しなきゃ!
自作スピーカー

2006年07月14日
 この世には、いろんなマニアがおられますが、オーディオに関しては全く絶句するようなマニアが大勢おられます。
高価な機器を買い揃え、少しの音の変化を聞き分けて少しでも良い音に近づけようとする。カートリッジを交換して音の違いを楽しみ、オーディオ雑誌を隅から隅まで読み、殆どの機種の型番まで暗記している人。

 私の職場にも数人居られます。長い間オーディオから遠ざかっていた私のオーディオ熱に火を付けたのもその人でした。
昔持っていた機器を尋ね、そのアンプはどうだ、スピーカーはどうだ、カートリッジは・・・。学生時代、大学入試の費用に親から送ってもらった送金を、その時欲しかったカートリッジの支払いに使ってしまったというツワモノ!オーディオ評論家を目指した程の人なのです。絵の才能があり、木工工作に関しては玄人はだし、ターンテーブルをセメントで堅め強力モーターで人間が乗っても回るものを作ったとの事。オーディオの話が始まると、もう止まりません。

 また、自作スピーカーのマニアでもあります。故長岡鉄男氏の設計されたスピーカーを次々と作り、評論する。全く凄い。新しいスピーカーを作ると言うので、その人から今使っている大型バックロードホンの自作スピーカーを譲ってもらいました。
 知る人ぞ知る長岡鉄男氏設計の「D−55」なるスピーカー。職人技で作ったキャビネットは頑丈そのもの。まさに私にとっては一生の宝物です。
 それを、サンスイのプリメインアンプ「α−907 Limited」を生産終了直前に購入したもので鳴らす。うーん、最高ですね。
あっという間に
消えた製品たち


2006年07月18日
 フェリクロームのDUADと同じように、いや、それよりも短命だったエルカセットって憶えておられますか? オーディオ談義の中で話題になったのですが、カセットテープとオープンリールテープの合いの子みたいなでっかいカセットテープ。一時話題になりましたよね。
 私もオープンリールが買えなかった反動で、エルカセット狙っていました。でもすぐに市場から消えてしまいました。本当に商品開発は難しいものですね。

 また、ノイズリダクションとして各社から単体で売り出された機器。有名なのはDBXですが、民生用にアドレス、アンルス、スーパーD、など、発売当時は本当に欲しくて、私はスーパーDを購入しました。
 テープに録音するとき音を周波数帯で分割し圧縮、再生時にそれを伸張して元に戻し、ダイナミックレンジの大幅な拡大とノイズレベルの縮小。期待して使いました。

 結果としてはテープのレベル変動がモロに影響し、高級カセットデッキと高級カセットテープでないと真価を発揮せず、使えた代物ではありませんでした。安いテープを使って高級テープ以上の音を・・・との目的は見事にハズレました。
 普通にカセットデッキに付いているドルビーBや、ノイズリダクションブーム後に出てきたドルビーCで十分だったと後悔しました。

 オーディオ装置のデザインも流行があって、シルバーで統一されたり、高級感を狙ってゴールドを使用したり、でも一番長く続いたのがブラックでしたね。電気店にあるのはどのメーカーもブラック一色で。高級感・重量感・落ち着き感がマッチしたのでしよう。私はブラックはあまり好きではなかったので避けていましたが・・・

 一番デザインが自分の感性に合って大好きだったメーカーがありました。「ヤマハ」です。すっきりしたデザイン。高級感もあり性能も良かったので、愛用していました。
 今当時のカタログなどを雑誌で見ても、やはり引かれるものがあります。性能や機能、カタログデータなども大切でしょうが、長く使うには自分お気に入りのデザインを選択するのも愛着がわき、大切に扱うものなのですね。
見上げた根性

2006年07月21日
 先日、子供の陸上クラブの全国大会予選がありました。
うちの娘は中学時代から短距離を練習していましたが、まわりに全国レベルの強敵がたくさんいたため、自分の出番は無いと思ったのか、何と砲丸投げに転向しました。
 そんな細いヒョローッとした体で、投げられるのかと親として心配しましたが、努力の甲斐があり、何とか上位争いの仲間に入れるようにまでなりました。

高校になると腰を痛め、しばらくお休みしていましたが、娘が突然、
 「今度大会に出るよ!砲丸とハンマー投げ。」
 「え、ハンマー?いつから始めたの?」
 「今から少しずつ」
 「でも、2週間後だろ、大会!」
 「うん!」
 「砲丸も休んでたから期待出来ないだろうし、ハンマー投げは前に飛ぶように頑張ってね」

などと話していました。
 大会の日、メールが入ったので見てみると
 「砲丸投げは5位、ハンマーは飛ばなかった」
との事。おお、砲丸は自己最高記録を更新!と喜んでいました。

 ところが、今朝、ふっと足元を見ると「金メダル」がある。1位と刻印されている。
あれー?なにこれー?ってビックリして聞くと、娘が言うのです。
ハンマー投げは男子は多いが女子はほとんどしていないから挑戦してみた。
大会では男子に混じって私一人女子で投げた。
女子は一人だったから「一番!」全国大会には行けそうもないけど・・・・だって。

 昔から目立ちたがり屋だとは感じていたが、まさかライバルの少ない種目を狙って金メダルを奪い取ってしまった見上げた根性の我が娘に、驚嘆と共に頼もしさを感じてしまった親ばかな私でした。

趣味のジャンク遊び的な投稿記事など

やってしまった

2006年05月23日
 今まで、古いパソコンをオークションなどで手に入れ、分解しては組み立てたり、修理が成功して動くようになったりと、色々と経験を積み、少しはジャンカーの世界に足をつっこんだつもりになっていた。
 先日、ACアダプタ電源では通電せず動かないが、バッテリーだと正常に動作するノートパソコンを手に入れた。なるほどバッテリーでしか起動しない。

 まず、ACアダプタを疑い、分解して正常をチェック。それではマザーの電源回路の接触不良に違いないと推測し、分解。マザーを取り出し、テスターをあて、半田ごてで再接着。さあ!と、元に戻し電源を入れてみると、電源ランプとバッテリーランプがチカチカと点滅を繰り返し全く反応なし。しょうがないからバッテリーで使おうとアダプタを抜くと、バッテリーでも反応なし!

「こわしちゃったー」うるうる。高かったのにぃ・・・その後ACアダプタまで駄目になり踏んだり蹴ったりで凹みました。
 まあ、そんな事もありますね。過去には分解途中でCPUをドライバで串刺しにしたりとかあったけど・・・。
どこがジャンク?

2006年06月03日
 ジャンクを集めていると、中には「え!一体どこがジャンクなの?」と思えるような「当たり」を手に入れることがあるんですよ。前に落札した古ーいノートパソコン。何と「1円!」
 同じ機種を持ってたから、保守用の部品取りにと思って落札し、送ってきた商品を開封後、試運転。外観は非常に綺麗で”やったー”と思い、リカバリして動かしてみました。動く!画面が非常に明るく綺麗。ほとんど新品でした。これが1円?悪いとこないよーー。全くラッキーな思い出です。

 その他にもDVDマルチやらMOやら無線LAN等、何もせずにそのまま正常に動くものもジャンクとして非常に安く手に入れた事もあるよ。ノートパソコンのジャンクなんか、ほんの少しの設定で直ったり、OSを入れ直したらきちんと動いたりするものがたくさんあります。

 「ジャンクは宝の山」と言った人がいますが、ほんの少しの知識があれば、その通りになる場合に多々遭遇し「ニタニター」と笑いと共に幸せな気分になる私は変?
パソコンの分解

2006年06月03日
 自作のデスクトップより、ノートパソコンを分解して不具合箇所を探し、他の流用できる部品を付け替えて動いたときは、本当に達成感があります。分解して遊ぶならノートパソコンですよ!

 それぞれの機種やメーカーにより、設計思想や工夫の跡が各所に感じられ、ホーッと感心することばかり。小さくするために限られた空間をどの様に利用し部品を配置するか、メンテナンスの為の工夫や技術者の苦労が感じ取れます。
 分解途中で「なるほど」と思ったり、「へーこうなってるんだ」と驚いたり、何故うごかないの?と基盤を見つめながら悩んだり、知的好奇心が刺激されます。

 今はもうソフトを開発しようという気力が年齢を重ねるごとに減退し、別の方へ興味が移ってきた様です。でも、一番最初に書いた様に失敗もたくさんあり、全て自己責任って事ですね。同年齢のおじさん達がジャンカーになっていく気持ちが分かります。「貧乏人の趣味」なのですから!・・・
たくさんの
コメントに感謝


2006年06月05日
 たくさんの方に訪問して頂き、コメントを残してもらい大変感謝しています。ありがとうごさいます。私は元来無精なもので、なかなかお礼の書き込みが出来ず、申し訳なく思います。

 さて、ジャンクを購入するのはパソコン本体だけではなく周辺機器なども「一山いくら」等いろいろな詰め合わせを買うことがあります。先日、「5台まとめて」と言うジャンクデジカメを買いました。ネットでそれぞれの仕様を調べ、動作確認し、挙動不審なものはいつものごとくバラバラに分解し、修理して遊んでいました。

 その電源確保の目的で何年かぶりに単三型の充電式電池であるニッケル水素充電池を買いに行きました。何と容量が実力容量2,700mAhだって! 前回高容量だと思い高額だったが思い切って買った電池を出して見ると容量1,300mAhだった。

 「知らない間に世の中はこんなに進歩してたんだ!」と思わずびっくり。もっと古いニッカド電池を見ると500mAhだって。5倍以上もあるじゃないか!それが最近の驚きでした。
すごいって・・・

2006年06月09日
 このブログにコメントを残して下さっている中に、「すごい」とか「尊敬する」とか書いて頂いていますが、実はちっともすごくもなんともないんですよ!

 今のパソコンを始めとする電気製品はブラックボックス化が進み、昔の真空管を使った本当に電気回路を知らないと出来なかった時代と違い、ブロックごとにモジュール化されており、悪い所さえ判断できれば、そこを入れ替えるだけで復活します。
 自作のパソコンなどはその典型で、ステレオのアンプ、チューナー、CD、スピーカー、プレーヤー、カセット、MD等を選んで接続するだけで完成するオーディオシステムと大差ないと思っています。(ほんの少しのソフトウェアの知識が必要ですが)。

 趣味の関係で良く友人らとパソコンの話をする機会がありますが、コンピュータに興味を持たれる方の大半は、昔アマチュア無線(ハム)やオーディオにのめり込んだ方が、時代の流れでパソコンへと興味が移った人が多いのに気づきます。
 今は仕事で必要に迫られて・・とか、学校で教わったとか、今どきパソコンぐらい使えないと・・、等々いろんなきっかけで始める方の方が多いのでしょうね。

 私は何の脈絡もなく、気が乗った時に、その時書きたいことを書くだけですので、気軽に読み流して頂ければ、それだけで満足です。(読んでもらえるだけでも感謝感謝なのです。)
 パソコンの話だけでなく、趣味のオーディオやギター、好きなアイドルなども気が向いたら少しずつ書いていこうかな・・?
ジャンクあさり

2006年07月12日
 やっと私の職場も世間一般と同じくボーナスが支給され、ちょっと安心!
家内に全て渡し、少しの小遣いをもらって、早速本来の趣味であるジャンクあさりが始まりました。

「ジャンク」=「がらくた」ですから、全くのゴミでも文句は言えません。オークション等をいろいろと見渡し、昔欲しくても高価で買えなかった物、我慢して程度を落として購入した物、興味はあったが買ってまで・・・と思い見送っていた物などをガラクタ値段で購入出来るので、ウインドーショッピングの様な感覚で楽しみながら探し歩いています。

 写真や説明文を参考にしながら、自分の技術で修理可能な物なのか?もし修理復活出来たら今でも使用できる物か?ジャンクの程度は?修理できなくても活用できる部品はあるか?等をいろいろ考えながら購入の意思決定をし、入札価格決定!落札価格よりも送料+振込手数料の方が何倍もかかる場合もあります。

 入札してから、他の方の入札状況を見守るのですが、終了直前でドーンと価格が跳ね上がる事も珍しくありません。まあ、まともに勝負出来るのはボーナスの小遣いで少し余裕のあるこの時期のみ。ほとんどが2番手3番手で負けちゃいます。でも引き際を決めておかないと、ただの浪費になってしまいますからね。

 私は一つの事に集中してしまうタイプですので、他の何かに熱中してしまうとブログの更新もままならなくなります。訪問して下さった方御免なさい  m(_ _)m。 今後また修理復活作業に熱中してしまうと、また更新停滞となりますが、決して嫌になって止めてしまった訳ではないので、今後ともよろしくお願いしますね。
今回のジャンク
復活は


2006年08月05日
 またまたジャンクの復活にはまってしまって、しばらくご無沙汰していました。その間、たくさんの方が訪問してくださり、コメントなどを頂きましたが、お礼も出来ず申し訳なく思っています。

 さて、今回は初めてWindowsCEで動くモバイル機の不動ジャンクを手に入れ、修復を試みました。WindowsやMS−DOSで動くノートパソコンに対しては、今まである程度の対応経験があり、ハード面・ソフト面に関しても、動かない場合は自分で大まかな判断が出来、自分で直せる故障か部品取りにしかならないものなのかを調査し、その扱い方の対応が変わりますが、このハンドヘルドパソコンとかパームトップパソコンと言われる機械は、少し趣が違うんですね。

 昔の通念的なスタンドアローンの独立したパソコンとしての感覚と違い、通常のパソコンを母艦として接続し、その親機に対して自分は子機となってパートナーシップを確立した後、親機からソフトなどのインストールやデータを同期しなければならない事。
 またフロッピーディスクやハードディスクは無く、メモリやコンパクトフラッシュカード等を記録媒体として使う先進的な構造である事。まあ、片手で操作出来る機械としてコンパクトなサブパソコンにするには、当然のアプローチでしょうけれど・・・。

 それと、もう一つの感動。タッチパネル! 
銀行のキャッシュディスペンサーなどでお馴染みの手で触れて動かす画面。こんなにいいものだったなんて・・・。キーボードやマウス、ノートパソコンのマウスパッドを使用していて、これで十分だと思っていましたが、実際にタッチパネルで画面のアイコンやスクロールバーを直接操作し、ドラッグ&ドロップして感覚的に動かしていると、知らず知らず、親機の普通のパソコン画面にあるアイコンを指でつついて「何故動かない?」と思っている自分にハッと気づきます。
 この感覚的な操作を知ってしまったら、普通の操作へと抜け出すのに苦労します。今までの操作は何だったんだ・・・機械的で頭の中で動かしていたんだとさえ思ってしまいます。この事も今回の大きな収穫でした。

 目の前にある、三台の動かないがらくたパソコンの復活。目標は三台のパソコンをバラバラに分解し、使える生きている部品を組み合わせて、使用に耐える一台を組み上げる事。さあ、どうなる事でしょうか・・・。
ジャンク修理へ
の下調べ


2006年08月07日
 ハンドヘルドやパームトップ、ポケットPCと呼ばれるPDA分野のパソコンは、OSやプログラムがROMに焼き付けてあり、昔懐かしいROM−BASIC時代の感覚と小型化に対する先進的な技術が共存する、興味深い分野と認識しました。
 私にとって新分野のパソコンであり、WindowsCEを採用したこのモバイル機の復活過程を記録として残してみようかと考えています。使用に関しては、日常的には手軽に持ち運び出来る入力端末として手のひらに乗せて使う感覚です。

 さて、問題のパソコンですが、全く動かない、電源さえも入らない本体が2台と、電源は入るがタッチパネルが半分しか認識せず使い物にならない本体が1台の計3台をがらくたとして購入。
 手始めに、それぞれの本体がどの様な状態なのかを一台ずつ調べます。電源が入らないものは、ACアダプタをつないだ時、バッテリーへの充電をおこなっているかどうかを見ます。充電さえも出来ないものは電源周りの故障と判断します。次に充電したバッテリーを電源の入らない本体へ装着し、電源ボタンを押してみます。もし電源が入ったらACアダプタのコネクタ周りに故障箇所が絞られ、テスターで後は調べるだけです。

 ジャンク品では、動作が不安定な物よりも、電源が全く入らない物の方が復活率が高いと言えます。その根拠はACからの電流が最初から流れない、言い換えるとチップヒューズが単に切れているだけの場合が多いのです。その次の確率としてはコンデンサーの容量抜けかショート。ヒューズの場合はテスターで調べるとすぐに分かり、最悪自己責任ですが、ヒューズ部分を直結します。
 但しヒューズが飛ぶのは何らかの原因で過電流が流れた証拠であり、運が悪ければ基盤全体がオシャカになりますし、発火の可能性も否定出来ません。くれぐれも真似しないで下さいね。

 また、考えられる不具合として、ハンダの浮きや天ぷら。どうしても原因が分からない時は、最終手段として、ハンダごてを怪しいと思われるところに当てて行きます。パーツの不良以外なら、大体この当たりでしょうか。それでも駄目な時は、基盤の交換となります。
 その為に同じ品物をジャンクとして複数台手に入れるのです。使える部品、生きている部品を高確率で手に入れる為に・・・。
 ここまでは、大きな考え方ですが、次からは、実際に行った復活作業を記載したいと思います。
ジャンク復活へ
向けて


2006年08月15日
 手元にある不動品の内、まず最初は電源が入る本体を調べました。ACアダプタは純正品ではないが同等の品。プラグを差し込み、電源スイッチを押す。するとPDA特有の瞬時の立ち上がりで画面が表示されました。バッテリーも充電されている模様で充電ランプも点いています。

 しかし、ここからが先に進みません。ハンドヘルドコンピュータは、タッチパネルによりほとんどの操作を指定するため、オールリセット状態の後は必ずタッチパネル用のスタイラスペンの位置決め調整画面になるのですが、タッチパネルが半分認識されないため、調整そのものがエラーとなり、どうにも困ってしまいました。しょうがないのでキャンセルボタンを押し、メイン画面へと移ります。

 この状態では、キーボードのみの操作しか出来ず、非常に使い辛い。何とか残り半分のタッチパッドが反応しないものかと色々試していると、どうやら液晶画面にひびが入るくらい強く指を押しつけると「ピッ」と音がすることを確認できました。全くの無反応ではなく、かすかに反応する事で、ほんの少しの光が見えてきました。
 あっちこっちを指で割れるほど押さえ、電源を入れたり切ったりして調べている途中、今度は電源さえも入らなくなりました。今まで光っていた電源ランプもバッテリーランプも暗いまま・・・「壊しちゃったの?」とドキッとしました。それ以後全く反応無し。これで、全部のパソコンが電源の入らない「がらくたと」化しちゃいました。

 ビックリしましたか?・・・実は良くある事なんです。気を取り直し、3台とも分解です。目的は電源が入るようにする事。まずは使っていたACアダプタを再確認。最初の電源の入らない本体に付属してきたもの。手に入れた機械に適合する手持ちの電源は、これ一つだけ。
表示のスペックは、そのまま流用して使える数値。しかし、その数値は本当に信用出来るのか?との疑問がわき、早速無負荷状態の電圧を測定。すると10V表示に対し14V強もある。1.4倍強ですね。通常ACアダプタは通電して使用中の電圧電流値を表示しますので、無負荷状態では電圧が高くなるのが当たり前ですが、それにしてもちょっと高すぎます。そこで、ピーンと来るんですよ。壊れた原因!

 ここまで読んで下さった方で、少しでも電気をかじった事があれば、もうお分かりだと思います。次は、復旧作業について書いていきます。
何と3台とも
復活!しかし・・・


2006年08月18日
 3台とも電源ヒューズが飛んだだけに違いない!と目測を立てた私は、慎重にネジを外し、筐体をばらし、キーボードを取り外し、液晶画面を分離してメイン基盤と言えるマザーボードを手に持ち、じっとにらめっこします。

 最近の小型PCのマザーボードは、米粒・ごま粒程の極小部品がびっしり。少し前までの豆粒みたいな部品との表現は、もう当てはまりませんね。探すのはチップヒューズ。あっ、ありました。電源コネクタ付近に一個とバッテリーパック電極部付近にもう一個。
 ニヤリと笑いを浮かべ、早速テスターを当てます。見事にオープン。ヒューズが飛んでいます。原因として考えられるのが、正規品ではなく相当品のACアダプタの初期電圧が高すぎたため、最初の電源オンの一瞬に過電流が流れて焼き切れたと判断しました。

 手持ちのヒューズは無いけれど、これなら直結しても大丈夫だろうと、半田ごてでバッサバッサと取り除き、直結作業(絶対真似しないように、自己責任です!)組み立てて電源投入!

 何と、3台とも復活しました!!!全く電源の入らなかった2台の内1台はタッチパネルも正常に認識され、まさに完動品となりました。もう1台はタッチパネルが認識されないものの、それ以外は正常。途中から電源が入らなくなった1台も、最初の状態に戻りました。
 やったー!と喜んだ瞬間、悪夢が・・・たった1台完動品となったパソコンの本体が手元からスルッと抜け落ち、床へ激突。 「大ショーック!!」 画面が映らなくなっちゃった。あーあ・・・。原因を調べてみると、液晶とマザーボードを直結するフィルムコネクタが切れちゃってる。さすがにフィルム配線にハンダを当てて修理する気力は無い。

 そこで考えました。最後の1台はタッチパネルが全く利かないから、そのコネクタを流用しちゃえと・・・。そして、再度完璧に復活しました。コネクタを取ってしまった本体は、部品取り用として、後々活用できると思います。
 残るは、タッチパネルが半分しか利かないが、強く押すと少しは反応するという1台です。少しでも反応があるという事は、断線していないという事。こちらも少しは見込みありと判断しています。次の記事の決定ですね。
何とか使える
レベルまで


2006年08月20日
 前回、タッチパネルが少しでも反応があるから復活の見込みがあると判断した残りの1台について書きます。

 タッチパネルの反応が非常に鈍いという事で、配線の接触不良を疑い、接触部分の清掃やらハンダの再補修をしても、一向に症状が改善せず、悩みながらヒントを求めてインターネットを巡回していました。そこで、ちょっと気になる記事を見つけました。
 「タッチパネルが突然反応しなくなったので、助けて下さい。」との質問に対する答えとして、「自分の経験から言うと、液晶保護フィルムを貼ったら、反応しなくなった事があった。」との記事。少し見つめて考えました。「保護フィルムを貼った位でそんなに反応が悪くなるのか?タッチパネルって、そんなにデリケートなのか?」

 自分の修理中の液晶パネルを見ると、がっちりと正確に液晶画面+タッチパネルが本体枠にセットされているのに気がつきました。そんなにデリケートなタッチパネルであるならば、こんなにきっちり正確にはめ込まれ、ビスで強く締め付けられていたら、経年変化でパネルの感度特性にも変化が出た可能性がある。と言う事。全くの自分よがりな思いつきでしたが、試してみる価値はあると判断しました。

 本体と画面の分離から始まり、液晶とタッチパネル部分の完全分解を実行。バラバラになった各部品を、再度少しずつひねりながらストレスを取り除きつつ、再組み立て・・それも心持ち少しゆるめに・・。そして、組み立て終了。
 さあ、どうかなーと期待しつつ電源オン。少し鈍さはあるものの、何とか使えるレベルにまで復活成功です。 やったね! これで、3台の内2台は使えるようになり、部品取りの1台も、コネクタの切断とタッチパネル以外は流用できるので、保管決定です。

 以上、今回のジャンク復活の様子を書き綴って来ましたが、その後、部品取り用に保管していた最後の1台が活躍することになります。その話は、また次回でしましょう。
部品取り用の
大活躍


2006年08月24日
 今まで、修理過程を書いてきましたが、そもそもの不良の原因が相当品の電圧の高いACアダプタだと判断した私は、正規品のACアダプタを手に入れたくてオークションを探し回っていました。
 そして見つけたのが、現在私が持っている機種より1世代新しく、動作もサクサク動くと評判のものがジャンクとしてACアダプタ付きで出品されていました。

 ほとんどの部品が流用出来るその新しい機種のただ一つのジャンクとしての欠陥は、キーボードが不良で、入力が出来ないとの説明。「キーボード、私、部品持ってる!」って事で、不良品という事もあり、安く落札。
 商品が届いて、2度目のビックリ! 色が違う。綺麗なブルーではないですか。調べてみると、全国で500台しか発売されていない超レアな商品でした。ラッキー!

 動作確認すると本当にキーボードが原因で立ち上がらず、不動品。そこでキーボードを取り外し、手持ちの部品取りとして保存していた物と取り替えてスイッチ・オン!
 バッチリ完動品で感動品! ACアダプタも正規品!部品取り用として保存していたがらくたが立派に活躍してくれました。
またまた「ヤッタネ!」って嬉しくってしょうがない。一般の評判通り動作も前製品と比べてサクサク動く。調子に乗ってバッテリーのリチゥムイオン電池のセルも自分で交換し(これも真似しないで下さい。最悪爆発の危険性がありますので)新品となり、動作時間も心配ない。

 出品者様へのお礼の評価に、商品に満足しているとコメントを残したら、「こんな物でも満足していただけて嬉しいです。」との返事を頂きました。がらくたとして売っていただいたものでも、私の手により立派に実用が出来る完動品として復活出来た時、この趣味を持っていて本当に良かったとしみじみ思います。

 でも、こんな事も今だから言えるのです。昔、知識が乏しく、ただ分解して遊んでいた頃は、ずいぶん失敗もしました。CPUを串刺しにする。
 正常に動いている部品を故障だと勘違いして逆に壊してしまう等、本当に泣きたくなる事も多々ありましたが、今回のように成功と言える瞬間を経験してしまうと、やっぱりやめられませんね。今後も相変わらずストックは増え続ける事でしょう。

 今夏のジャンク修理に関する記事は、これで終了としたいと思います。長い間おつきあい頂き本当にありがとうございました。

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